13. 旅行者の展覧会

会期:2015年 9月28日(月)19:00〜22:00
主催:KABEGIWA
会場:KABEGIWA(263 Wyckoff Ave 2L, Brooklyn, NY 11237 USA)
出品:近藤恵介、木村彩子、冨井大裕
印刷物デザイン:川村格夫(ten pieces)

この展覧会は、ある旅行者の作品展である。彼/彼女は、居住地ではアーティストとして知られているが、少なくとも滞在先では旅行者である。彼らは、日常の営み=制作からしばし離れ、見ること、感じることに専念することになる。その過程で彼らは、無目的で、純粋で、新鮮な感覚を得ることになるだろう。それは、旅行において誰もが感得する感覚であり、この感覚を得た瞬間に気づくことが旅行の醍醐味と言えるのではないだろうかーーーアーティストの彼らにとっても、この感覚は何千冊のカタログを買うこと以上にかけがえのない財産のはずだ。しかし、残念なことにこの感覚は長続きしない。より濃い内容の記憶/経験に熟成されていくことはあっても、鮮度は帰路についた時点で失われてしまう。旅行者であるアーティストにとって帰路の飛行機、船、列車のシートはすでにアトリエなのだ。本展は、旅行者がアーティストに戻る前の感性を記録する為の試みである。

近藤恵介(こんどう・けいすけ)
1981年、福岡県生まれ。2007年東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。神奈川県在住。日本画の技法を軸に、絵画を描き継ぐことで絵画のことを知り、そのことから跳躍を試みる。近年では、小説家の古川日出男、美術家の冨井大裕などと、継続的に共同制作やワークショップをおこなう。最近の個展に「12ヶ月のための絵画」(MA2ギャラリー、東京、2014)。作品集に「12ヶ月のための絵画」(HeHe、2014)。
http://kondokeisuke.com

木村彩子(きむら・さいこ)
画家。1979年、東京都生まれ。2003年に東京造形大学絵画科卒業、翌年同大学研究科終了。神奈川県在住。植物や風景の写真から描きたい部分をドローイングにより抽出し、油絵具に蜜蝋を混ぜて描いている。switch point(東京、2006~)やGALLERY CAPTION(岐阜、2009~)での個展、グループ展を中心に作品を発表。その他、本の装幀画や挿絵なども多数制作。
http://www.kimurasaiko.com/

冨井大裕(とみい・もとひろ)
1973年新潟県生まれ、東京都在住。既製品に最小限の手を加えることで、それらを固定された意味から解放し、色や形をそなえた造形要素として、「彫刻」のあらたな可能性を模索する。近年の展覧会に「カメラのみぞ知る」(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku、東京、2015)、「引込線2015」(旧所沢市立第2学校給食センター、埼玉、2015)「アーティスト・ファイル2015 隣の部屋-日本と韓国の作家たち」(国立新美術館、東京、韓国国立現代美術館、ソウル、2015-16)。また、2008年よりアーカススタジオにて、作品が朽ちるまで続く実験的な個展「企画展=収蔵展」を開催、Twitterにて毎日発表される「今日の彫刻」などと併せ、既存の展示空間や制度を批評的に考察する活動でも注目を集める。
http://tomiimotohiro.com/

「旅行者として絵を描いたときのことを忘れないためにメモのように書いてみる」近藤恵介 
旅行者の格好、旅行者の身振り、旅行者の描く絵。
2週間の旅行に、パソコンは持って行かなかった。ノートと筆記具は持って行った。Macが日々の生活や考えを組み立てるときに果たす役割は小さくない、というより随分それに規定されている。まずはそれを手放す。だから、この文章も同じように旅行に持って行った筆記具で書いている。普段キーボードを叩く感覚で書き進めると、字がもつれる。字が下手なことに少しがっかりする。それでも書き進める。そういえば、署名やメモ以上のまとまった文章をシャーペンを握りながら書くのはいつぶりだろうか。スピード感が違うから、内容の加速度も密度も自然とそれに呼応する。シャーペンの考え方になる。まあ、急ぐ必要はまったくないからいいのだが。

場所。家では書けなかった、書き出すこともできなかったこの文章が、近所のハンバーガー屋に来てみると無理なく書けている。何でもかんでもーーー旅行のこともーーーアトリエに持ち込めばいいという訳ではない。
作品をつくるために旅行をしたのではないし、展覧会のためでもない。観光旅行。行くことそのものが目的。
旅先ですごくいい絵をみた。当たり前だが、そこに行かないとみれない展覧会やライブに足を運んだ。もちろん美味しい食事も。そういうことをアトリエに引き取らないで、そのまま生成の過程にする。 なぜだか、どんどん字が大きくなっている!

滞在先の寝室。マットレス、トランク、ゴミ箱、手書きのウェルカムボードと買った本が数冊あるくらいの天井高のある自然光がよく回る部屋。自分の手元にあるのは、シャーペン、蛍光ペン、ボールペン、エンピツ、3冊のノートとメモ帳。これに、マーカー2本と木材1本と接着剤を買ってきて加える。携帯で撮った写真をキンコーズで1枚だけプリントアウトもした。

風が吹いて、手に持っていた立ち寄ったギャラリーでもらった展覧会の内容が説明されたペーパーが飛ばされた。メキシコ人(?)がやっている小さな店で買ったブリトーの包み紙を落としたら、少し転がって道の出っ張りに引っ掛かった。
(そういう作品を作れるかもしれない!)

「NY旅行」木村彩子
NYに滞在した二週間で、たくさんの美術作品をみました。
浴びるようにみたそれらが、身体にしみ込んでいけばいいと思いました。
やり慣れた方法も、使い慣れた道具もない状況というのは、「ある」ときには決してできなかったことが自然とできてしまうきっかけになるのだということを知りました。
新鮮な残像を手がかりに、現地調達した緑色のパステルで描いた絵は、あのときにしか絶対に描けなかったものです。

「展覧会についてのメモー感動の伝染と転写についての素描」冨井大裕
私は、本展の世話人であり、旅行というには些か長い滞在生活をこの地で過ごしている。本来的には本展の出品者には該当しない。今回は、出品者二人の要望もあって出品した。展示したのは現地で制作しているポストカード彫刻のシリーズ。素材は二人と共に出かけた各地で入手した。滞在して5ヶ月、感激に少し新鮮味が欠けてきたこの時期に二人と出かけた小旅行は、とても新鮮な体験だった。正確には、新鮮な感覚が二人から移ったというべきだろう。私が展示した彫刻には、二人の作品ほどではないにしても、その感覚が反映されていた筈である(※)。

「同じ対象に対して同時に感動する」「感覚が伝染する」どちらの体験も旅行でしか得ることのできないものである。ましてやアーティスト同士の旅行となると、感動対象はより限定されるかもしれない(対象が山や海などの場合、実際のサイズが大きく広い為、感動の焦点は多焦点になるが、美術作品の場合、焦点が合わざる負えない)。そんな時間を共に過ごした私たちの感動の焦点は、果たしてどこまで近くて遠いのだろう。そんな感覚の深度、速度を観測/記録するという点でも、この展覧会はとても有効だったと思う。メディウム、支持体の選び方とそれらを扱う手つきから、作品には感動の焦点が転写されていた。設置方法や作品同士の間から、展示では焦点のズレが空間化されていた。これはとても抽象的で、出品した当事者達にしかわからない内容なのかもしれない。しかし、制作は本来的に個人の営みである。その営みをそのまま他者に差し出す為の姿として作品があり、その為の舞台として展覧会がある。この基本原理を確認する機会としても、本展の採った一見すると閉鎖的な形式ーーー《一夜限りで限られた観客を前に展覧会を開催する》ーーーは有効であったように思う。この展覧会は、シリーズとして継続的にやってみてもよいのでは?そんな手応えを感じた展覧会であった(※※)。

※「何となく思いついて」ベッドを彫刻の台座に使った。ホテルで行うアートフェアではよくある手だが、「思いつきで使ったこと」が私には良かった。
※※「感動を転写するという試み」であった。感動に対して何かを言うことは、言うだけ野暮である。よって、展覧会に対しての「具体的な感想」は胸のうちに留めおくことにする。